立ち止まって初めて見えるものがある。

私はこの言葉を聞くたびに
おいおい、
在り来たりな言葉でな上に、そりゃ立ち止まってしまったことへの慰みの言葉だぜ。
なんて捻くれ者のように思っていた(しかも心の中でケッ!って顔しながら)

でもまあ
なんていうか

立ち止まったら、
見えました。
タンポポとかアリンコとか
さらにこのままチビ?トトロ(あの白いやつ)まで見えちゃうんじゃないかってほどに。
気づきました。
あれ自分こんな色の靴履いてたんだ、なんて。


本当、体験してみないと気づかないとはよく言ったもの。これまたありふれた言葉ではあるけれど
しかし在り来たりな言葉というのは、それだけ使い古され洗練されたが故の“本質”を内包している。ということなのかな、と。


全力疾走から大コケして地面に突っ伏したまま
2度と立ち上がれないんじゃないかな。なんて思って額を地面にこすりつけて何も見ようとしなかった。
しかし突っ伏した先でドングリが見つかったり
仰向けに転がってみたら、月があんなに綺麗だったり。

転んだ先で、見つけたものを胸にしまって
また歩き出せたら、今度は走っても、タンポポにもチビトトロにも目が広げられそうだな

そう、転んだおかげで見つけられたものは、
実は本当に多かったりしたのかもしれない



今度ドングリが落ちてたら辿ってみよう